明るく振る舞えば人は寄ってくる?

アメリカの青春映画やドラマを見たことがある方は、はっきりとイメージしやすいと思うのですが、ポピュラーキッズあるいは人気者という人は世の中に確かに存在して、彼らはいつも明るくハッピーな雰囲気に包まれて、その名の通り人を惹きつける魅力ある人気者と言えます。

そういった彼らを模して、いつも明るく振舞っていれば自分も人を惹きつけられるかも知れない、とつい考えてしまうのですが、それは本当なのか?

まず、難しい問題に直面すると人はどうしても渋い顔をしてしまうもの。真剣に生きていれば、常に明るく振る舞うなんて無理じゃないかなと思ってしまいます。

人に心配させまいと明るく振る舞う人もいます。でもそれは、明るく振舞って人に心配かけまいとすることが、本人にとって心理的負担がより少ないからそうするのであって、無理にそうしているわけではない。要は単に、それはその人の特性の一つであって、その特性だけで人を惹きつけているわけではないと思うのです。

暗い顔をして沈黙していれば、それは人も寄ってこないでしょう。それを「明るく振舞っていないせい」だと考えるのは極端すぎます。

人を惹きつけるもの、それは「自分らしさ」やそれによっていかに「人生を謳歌してそう」に見えるかではないでしょうか。辛い時に思いっきり渋い顔をして大いに苦しむ。そういうことが人を惹きつけるのに、何の役にも立たないとは、どうしても思えないのです。

心が強いとはどういうことか

もっと強くなりたい、とか、強い人じゃないと幸せになれないとか言うことがあります。

でも、よく考えてみると心が強いってどういうことなのかよくわからない。

人間は自分の心を、例えば厳しい現実にさらして疲弊してしまわないように、自分に都合よく物事を解釈したり、楽観的に考えるものだそうです。そして、その方がむしろ健康的なのだとか。

けれども、物事を現実的に捉えようと努力する人がいたりします。そしてそういう人は厳しい現実に自分の心をさらしがちなので、感情が抑制できないことがあったり、抑うつ傾向にあったりする。

じゃあ、そういう現実を直視しようとする人は感情的で心が折れがちだったり、抑うつ状態になるから心が弱いのか?

そんなことを考えだすと、心が弱い、とか強いとかいうのはあまり意味がないような気がしてしまいます。

こうしよう!と決めていたのにやり遂げられなかったから、弱い。そういうのはあるかも知れません。だけど、自分ができそうなことしかやらなければ、”やり遂げられない”という状況に陥りようがありません。できないかも知れないことに挑戦しただけでも、心が強い!という考えが一方で出来てしまうのです。

最後になりましたが、内向的だから強い、弱いということも勿論ないと思います。

感情は育つ

管理人は放送大学で心理学の勉強をしていますが、感情の授業までまだたどり着いていません。

しかしながら感情とは面白いもので、日常において自分や人のそれについて観察すると本当に興味深いです。

最近思ったのは、激しいものでなければ感情は抑えておけば停滞し、逆に解放すると増大するということです。

楽しい気持ちを胸に秘めていると、なんとなくウキウキしていても落ち着いていられますが、その楽しさを具体的な内容として他人に発言したりすると、楽しさが増大して舞い上がってしまいます。

そういう感情の増大を感じて、すごく嬉しいんだけれど人からどう見られているか気になって恥ずかしいな、という気持ちも芽生えます。そうすると気持ちを抑えたときよりも、感情はより成熟に向かって発達したような気分になるのです。

気持ちを抑えるのは一見大人びた行為だけれど、抑えずに解放することでより成熟した感情を手に入れる。そういうものかも知れないなと思いました。

自分の事を喋りすぎてしまう

内向型で社交が苦手だからと言って、日々誰とも喋らないで済ませられるかと言えば、そういうわけではありません。

仕事仲間、家族、友人、何かのつながりで知り合った人々。

一人でいても動画を見たり読み物を読みふけったり、絵を描いたり文章を書いたり・・・、十分楽しいからそれだけで暮らしていけそうなんだけれど、なかなか非現実的なものです。

充実した一人を過ごしてしまうと、人と一緒にいて”一人よりも楽しい!”と感じるのはなかなか難しい。となると、一人よりも楽しくなるべく、自分の興味のあることについてつい喋りすぎてしまう。

しかも、後で家に帰って一人になったらすることについて考えながら話してしまい、それすらも支離滅裂になることがある。

そこまで自分は酷くない・・と思われた方もいるかも知れませんので、その場合は聞き流してください。

しかし、もし心当たりのある方は、相手はなんとか話を合わせてあげたいと思う心の優しい方だと思いますので、その相手のことを大事に思うようにしましょう。

理想を言えば、”一人”と”一人ではない”という心の切り替えができれば、社交術も向上しそうな気がしますが、どうなのでしょうか・・・。

暑くてだるい

皆さま、暑い夏をいかがお過ごしでしょうか。

夏はいろんなイベント、夏祭りやら花火大会やらがあっていいですよね。

とは言え、地元の夏祭りはあまり会いたくない昔の知り合いに出会う可能性あり、花火大会はキレイなんだけど音がうるさくて集中できない、野外フェスは本当に倒れそうになって医務室に行く羽目になるし、人が多くて割り込みの人に敵意を抱く始末・・・。

個人的にはそんなに楽しんではいない気がします。

内向型は冬が好きと本に書いてあったのですが、私には完全に当てはまります。

寒い中、帰宅した時の幸福感はあると思います。
冬で困るのは、洗濯物が乾かないことぐらいでしょうか。

早く涼しくなったらいいなと思いながら、毎日過ごしています。

個性的たれ?

自分は内向的なせいでいろんなことがうまくいかないのではないか・・・。

そんな風に考えてしまう人は、自分には個性が足りないんじゃないか?などとお悩みではないかも知れません。

でも、自分があまりにも平凡で普通だと自分は何の取り柄もない人間なのではないかと不安になることがあります。

ひと昔前、最近の子供は没個性的だ、などと言われた時期があったのですが、その時にいかにも個性的な友人はこう言っていました。

「個性というのは自然に備わるものであって、個性が無い、などということは人間として有り得ない」

そんなことを言われて、アイデンティティの確立に四苦八苦している自分からすれば、そんなの正論だ、と思ったけれど、大人になって冷静に考えてみると確かに、個性などというものは、どんな人にも備わっているものと感じられるようになりました。

みんなに愛されたり好かれたりすることは個性あってのことですが、個性的だから愛されるというわけではありません。
個性的であろうとすることはもしかしたらナンセンスなことなのかも知れません。

人に話すと楽になる

辛い経験をした時、それを話さずにいようとするとストレスになり心だけじゃなく体にも悪いそうです。

でも、辛い体験ってそんなにしょっちゅうあるわけじゃない。

それに自分の話はし慣れていないと、いきなり辛い話などできないもの。

内向型は社交が得意ではなく気が進まないかも知れないけれど、おしゃべりの練習は日頃からしたほうがいいと思うのです。

ちょっとしたつまらない気持ちでも、人に話すと思い込みに気がつきやすくなるし、逆につまらないことを話題にすることで、不要なまでの高い自尊心や過剰な自意識も少しは和らぎます。

ちなみに、自分の話というのは気持ちとか感じたこととかで、自慢話とかではありません。自分がどんな人間か相手に伝わってしまうようなことです。知識や知性をひけらかすのでもありません。

辛い話をしたい時のために備えるというのは変だけれど、自分のことを人に話す練習はすべきだと思います。

過度のストレスとは?

ストレスと聞くと、健康に悪いというイメージがあります。でも、全くストレスのない生活を想像すると案外つまらないものにも思えます。

では、健康的に過ごすために本当に気をつけるべきストレスとは何なのでしょうか?

よく「過度のストレス」という言葉を耳にします。おそらく、これこそが気をつけるべきストレスなのでしょう。でも、人によってストレスの度合いは違うし、自分が感じることを頼りにするしかなさそうです。

内向型は外からの刺激を受けるとすぐに疲れてしまうので、それによってかえって防御されるように思います。すぐに疲れるので過剰な刺激にさらされ続けるようなことはしないのです。けれど、その分考えることにエネルギーを注いでしまうようにも思います。

うつ病について書かれたものを読むと、病状としてネガティブな思考に陥るというものがあります。

考えすぎてネガティブになる・・・というのはありそうですが、ネガティブな思考に陥るほどの日常的な緊張感について考えると、ネガティブ思考とストレスは鶏ー卵のようにどっちが先か?という問題に行き着いてしまいます。なので、考えすぎることを止めればいいという単純なことではなさそうです。

まず、自分がもし「過度のストレス」にさらされていると感じたら、そこから逃げるべきです。でも自分で気づけない場合もある。そういう時は発想の転換をして、ネガティブな考えを持ちがちなら、どんな状況でも「過度のストレス」がどこかにあると判断して変化することを検討したほうが良いのかも知れません。

発達するということ

心理学を学んでいてると、すごく興味深い言葉がいくつも出てきます。今日はその中でも「発達」という言葉について書きます。

「発達」はもともと子供の成長過程にのみ使われた言葉らしいのですが、大人も
変化するということで、人は生涯にわたり「発達」するという考えがあります。

心理学では、より多くの人が体験する変化(青年期や中年の危機、老いなど)について語られることが多いように思います。しかし、子供が体験するような「発達」は大人になってもあるように感じるのです。

子供は「発達」するにつれて情緒や知能が育ち、色々な感性や論理的な考えが持てるようになると言います。でも、もし一般的に大人と呼ばれる年齢になって体験するような「発達」のきっかけ(変化)や環境が、子供時代に訪れてしまったら、情緒や知能の「発達」は他の子供に比べて遅れてしまう、ということがあるように思うのです。

ここで肝心なのは、人は生涯にわたって「発達」するのだから、みんなより遅れても取り戻せるということです。いい大人が小さい子供みたいに情緒不安定気味であっても、これから「発達」するように頑張ればいい。そんな風に思うのです。

そこをどう、頑張ればいいのか。そのヒントに、自分の気質、つまり内向型か外向型かが役に立つと思っています。

頭を使うと疲れる

内向型は外向型よりも、刺激を与えた時により多くの血流が脳に見られるという研究があるそうです。

それは環境に対しての脳の反応が、より活発ということを意味します。

脳を使うと人は理不尽なほどエネルギーを消費するらしいです。

となれば同じように生活していて、内向型がより体力のなさを感じる、疲れやすいと感じるのも当然のことと言えそうです。

体力をセーブするには無になることが肝心です。もっと簡単なのは、目を閉じる
などして刺激をシャットダウンすることです。