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イライラのもと

たまに「内向型で一番楽しい生き方ってどんなだろう?」と考えます。

隠遁生活だとか、自由気ままな生活が思い浮かぶのですが、それってあまりにも非現実的。現実的な所で考えると、会社員なら仕事がはければ帰って好きなことできて生活は安定してるし、まあまあ楽しい。

そんな感じで最もらしい結論など出ないのですが、「自分という特性をどう扱うか」ならもっと現実的に考えられそうな気がします。

人間の能力は有限で、節約しないと好きなようには生きられない。
では、どこをどう節約するのか?

そういう時は、”イライラのもと”を考えればいいかも知れません。

イライラした時、何にイライラしたのかを覚えておいて分析するのです。

イライラは感情を揺さぶられている証拠なので成長のチャンス。「今後の成長におけるあなたの課題はここ」と教えてくれています。もしくは、ストレスフルな相手を教えてくれている。もし、周囲に迷惑などかからないようならば相手に気づかれない程度に、その人を避けるのもアリだと思います。

イライラをサインと捉えて、自分の特性とうまく扱うことができれば、もっと好きに生きられるかも。

感情は育つ

管理人は放送大学で心理学の勉強をしていますが、感情の授業までまだたどり着いていません。

しかしながら感情とは面白いもので、日常において自分や人のそれについて観察すると本当に興味深いです。

最近思ったのは、激しいものでなければ感情は抑えておけば停滞し、逆に解放すると増大するということです。

楽しい気持ちを胸に秘めていると、なんとなくウキウキしていても落ち着いていられますが、その楽しさを具体的な内容として他人に発言したりすると、楽しさが増大して舞い上がってしまいます。

そういう感情の増大を感じて、すごく嬉しいんだけれど人からどう見られているか気になって恥ずかしいな、という気持ちも芽生えます。そうすると気持ちを抑えたときよりも、感情はより成熟に向かって発達したような気分になるのです。

気持ちを抑えるのは一見大人びた行為だけれど、抑えずに解放することでより成熟した感情を手に入れる。そういうものかも知れないなと思いました。

個性的たれ?

自分は内向的なせいでいろんなことがうまくいかないのではないか・・・。

そんな風に考えてしまう人は、自分には個性が足りないんじゃないか?などとお悩みではないかも知れません。

でも、自分があまりにも平凡で普通だと自分は何の取り柄もない人間なのではないかと不安になることがあります。

ひと昔前、最近の子供は没個性的だ、などと言われた時期があったのですが、その時にいかにも個性的な友人はこう言っていました。

「個性というのは自然に備わるものであって、個性が無い、などということは人間として有り得ない」

そんなことを言われて、アイデンティティの確立に四苦八苦している自分からすれば、そんなの正論だ、と思ったけれど、大人になって冷静に考えてみると確かに、個性などというものは、どんな人にも備わっているものと感じられるようになりました。

みんなに愛されたり好かれたりすることは個性あってのことですが、個性的だから愛されるというわけではありません。
個性的であろうとすることはもしかしたらナンセンスなことなのかも知れません。

発達するということ

心理学を学んでいてると、すごく興味深い言葉がいくつも出てきます。今日はその中でも「発達」という言葉について書きます。

「発達」はもともと子供の成長過程にのみ使われた言葉らしいのですが、大人も
変化するということで、人は生涯にわたり「発達」するという考えがあります。

心理学では、より多くの人が体験する変化(青年期や中年の危機、老いなど)について語られることが多いように思います。しかし、子供が体験するような「発達」は大人になってもあるように感じるのです。

子供は「発達」するにつれて情緒や知能が育ち、色々な感性や論理的な考えが持てるようになると言います。でも、もし一般的に大人と呼ばれる年齢になって体験するような「発達」のきっかけ(変化)や環境が、子供時代に訪れてしまったら、情緒や知能の「発達」は他の子供に比べて遅れてしまう、ということがあるように思うのです。

ここで肝心なのは、人は生涯にわたって「発達」するのだから、みんなより遅れても取り戻せるということです。いい大人が小さい子供みたいに情緒不安定気味であっても、これから「発達」するように頑張ればいい。そんな風に思うのです。

そこをどう、頑張ればいいのか。そのヒントに、自分の気質、つまり内向型か外向型かが役に立つと思っています。

ひととして成長するには

人格という言葉はちょっとむずかしいのですが、その人がどういう人か?ということを表すことばのひとつです。

人格が優れているとか、人格を否定されたとかいう風に使います。

このサイトでは気質は生まれ持った基本的な個人の性質というような意味で使っていますが、人格は生まれ持ったものだけでなく培ったものも含めてのことになるかと思います。

内向的なひとは生まれ持った気質の内向的であることを変えられない。だから反対に外向的に振る舞おうとしてみたりそういうことを考えたりすることが人として成長する助けになるのではないか?と私は思っています。

ひとは生まれてすぐの人格のまま生きてはいけません。成長しなければ社会ではやっていけないし良くも悪くも変化するものだからです。自分の気質に関心を持ち、そこから人格がどう変わっていくかを考えることは自分が成長することの大きなヒントになると思います。