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イライラのもと

たまに「内向型で一番楽しい生き方ってどんなだろう?」と考えます。

隠遁生活だとか、自由気ままな生活が思い浮かぶのですが、それってあまりにも非現実的。現実的な所で考えると、会社員なら仕事がはければ帰って好きなことできて生活は安定してるし、まあまあ楽しい。

そんな感じで最もらしい結論など出ないのですが、「自分という特性をどう扱うか」ならもっと現実的に考えられそうな気がします。

人間の能力は有限で、節約しないと好きなようには生きられない。
では、どこをどう節約するのか?

そういう時は、”イライラのもと”を考えればいいかも知れません。

イライラした時、何にイライラしたのかを覚えておいて分析するのです。

イライラは感情を揺さぶられている証拠なので成長のチャンス。「今後の成長におけるあなたの課題はここ」と教えてくれています。もしくは、ストレスフルな相手を教えてくれている。もし、周囲に迷惑などかからないようならば相手に気づかれない程度に、その人を避けるのもアリだと思います。

イライラをサインと捉えて、自分の特性とうまく扱うことができれば、もっと好きに生きられるかも。

明るく振る舞えば人は寄ってくる?

アメリカの青春映画やドラマを見たことがある方は、はっきりとイメージしやすいと思うのですが、ポピュラーキッズあるいは人気者という人は世の中に確かに存在して、彼らはいつも明るくハッピーな雰囲気に包まれて、その名の通り人を惹きつける魅力ある人気者と言えます。

そういった彼らを模して、いつも明るく振舞っていれば自分も人を惹きつけられるかも知れない、とつい考えてしまうのですが、それは本当なのか?

まず、難しい問題に直面すると人はどうしても渋い顔をしてしまうもの。真剣に生きていれば、常に明るく振る舞うなんて無理じゃないかなと思ってしまいます。

人に心配させまいと明るく振る舞う人もいます。でもそれは、明るく振舞って人に心配かけまいとすることが、本人にとって心理的負担がより少ないからそうするのであって、無理にそうしているわけではない。要は単に、それはその人の特性の一つであって、その特性だけで人を惹きつけているわけではないと思うのです。

暗い顔をして沈黙していれば、それは人も寄ってこないでしょう。それを「明るく振舞っていないせい」だと考えるのは極端すぎます。

人を惹きつけるもの、それは「自分らしさ」やそれによっていかに「人生を謳歌してそう」に見えるかではないでしょうか。辛い時に思いっきり渋い顔をして大いに苦しむ。そういうことが人を惹きつけるのに、何の役にも立たないとは、どうしても思えないのです。

心が強いとはどういうことか

もっと強くなりたい、とか、強い人じゃないと幸せになれないとか言うことがあります。

でも、よく考えてみると心が強いってどういうことなのかよくわからない。

人間は自分の心を、例えば厳しい現実にさらして疲弊してしまわないように、自分に都合よく物事を解釈したり、楽観的に考えるものだそうです。そして、その方がむしろ健康的なのだとか。

けれども、物事を現実的に捉えようと努力する人がいたりします。そしてそういう人は厳しい現実に自分の心をさらしがちなので、感情が抑制できないことがあったり、抑うつ傾向にあったりする。

じゃあ、そういう現実を直視しようとする人は感情的で心が折れがちだったり、抑うつ状態になるから心が弱いのか?

そんなことを考えだすと、心が弱い、とか強いとかいうのはあまり意味がないような気がしてしまいます。

こうしよう!と決めていたのにやり遂げられなかったから、弱い。そういうのはあるかも知れません。だけど、自分ができそうなことしかやらなければ、”やり遂げられない”という状況に陥りようがありません。できないかも知れないことに挑戦しただけでも、心が強い!という考えが一方で出来てしまうのです。

最後になりましたが、内向的だから強い、弱いということも勿論ないと思います。

個性的たれ?

自分は内向的なせいでいろんなことがうまくいかないのではないか・・・。

そんな風に考えてしまう人は、自分には個性が足りないんじゃないか?などとお悩みではないかも知れません。

でも、自分があまりにも平凡で普通だと自分は何の取り柄もない人間なのではないかと不安になることがあります。

ひと昔前、最近の子供は没個性的だ、などと言われた時期があったのですが、その時にいかにも個性的な友人はこう言っていました。

「個性というのは自然に備わるものであって、個性が無い、などということは人間として有り得ない」

そんなことを言われて、アイデンティティの確立に四苦八苦している自分からすれば、そんなの正論だ、と思ったけれど、大人になって冷静に考えてみると確かに、個性などというものは、どんな人にも備わっているものと感じられるようになりました。

みんなに愛されたり好かれたりすることは個性あってのことですが、個性的だから愛されるというわけではありません。
個性的であろうとすることはもしかしたらナンセンスなことなのかも知れません。

思い込みにさよなら?

内向型に限ったことではありませんが、思い込みはついついしてしまうものです。

ですが、思い込みをしている人に対して”思い込んでますよ”と的確に指摘するのは難しいもの。逆に言えば、思い込みで行動したり発言したりしてもひとから指摘してもらえないということです。

しかも、指摘されても素直にはなかなか聞けないもの。
指摘してもらいたい!という気持ちがあったとしても、です。

思い込みがもとで失敗したとはっきりわかっているなら、その思い込みはどうにかする必要があります。でも失敗したわけじゃないなら、そんなに思い込みを敵視する必要があるでしょうか?

管理人は子供の頃から思い込みが激しいと言われ続けており、内向的なせいなのか?と思わないくもないです。
じゃあそれで人生は台無しかと聞かれればそういうわけではありません。

思い込みに気づく時のさわやかな気持ち・・・というのはある気がしますが、自分はなぜこんなに思い込みが激しいのか?とむやみに悩む必要はあまりない気がします。

マイペースでなぜ悪い

内向型は外からの刺激を大きいものとして受け止めがちであるため、刺激の多数ある状況では疲れたり圧倒されたりしやすい気質です。

となると、なんとなくぼーっとして周囲の話を聞き逃してしまったり、自分の考えに没頭して会話にうまく入り込めなかったりしてしまいます。

そうすると時に協調性を保てずマイペースにもなりがちに・・・。
でもそれの何がいけないと言うのでしょう?

管理人も、マイペースが周囲に与える困惑についてや、社会性が高ければ高いほど得する気がするし、生きやすそう・・・といった理由からマイペースを脱しようといろいろ考えたり行動したりしましたが、結局のところ特にいいことはないように思いました。

それはどんな状況でも自分の疲れやすかったり、圧倒されがちな気質はどうしたって変わらないため、頑張って振る舞った分のしわよせが他に出ているように感じたからです。

でもそれはやってみたからこそ分かったこと。マイペースの何がいけないの?と、お感じの方はそのままでいいし、いや良くはないだろうと思う方は改善を試みてください。

考えたからいいってものでもない

内向型は比較的考えるのが好きな気質です。
ちなみに、何か考えている風に見えて、本当は何も考えていないひとは直感やそれまでの経験によって物事を判断しているらしいです。

何も考えないよりは考えたほうがいい。
でも考えたからって何もかも上手くいくわけじゃない。

感情が大いに影響を及ぼし冷静に物事を考えられていない時もあるし、考え方に
くせがついていて結局いつも同じ結論にたどり着いているということもあります。

そうなると直感や経験に勝る考えをしているとは言いづらいでしょう。

気持ちとしてはやりづらいけれど・・・。今自分が考えていることって本当の所
どうなんだろう?と振り返るくせをつけたほうがいいようです。

内向的になってしまった・・・

どういうわけか有名人などの人生を語る際に”つらいことが重なって内向的な性格になってしまった”と書かれることがあります。

言いたいことはわかるのだけれど、少なくともこのサイトで使っている内向的ということばの意味からすれば、その言い回しは間違いです。そのことは散々書いているので今回は置いておいて、なぜそういう書かれ方をするのか?について考えたいと思います。

つまるところは、つらいことが重なるあまり自分がつらいと思うことのほかには関心を向けづらくなった、というようなことだと思います。関心が自分のつらいこと、つまり自分の気持ち、内側にあるという意味です。

たぶん、なのですが本来は外向的だったひとが内向的になってしまうのは悲劇的だし、内向的な人間が外向的にならざるを得ない状況に置かれるのも悲劇のもとのように思わます。

ただ、内向的だったのに外向的になってしまった・・・、とは書かれない。内向的なひとが外向的になるより、外向的なひとが内向的になるほうが周囲の関心をひく、というだけのような気もしますが、良く言われないのはやっぱり気になります。

自分と向き合う

内向的であることを悪いことのように書かれることがあります。他人がどう言おうが関係ないという考えもありますが、問題は自分自身を肯定しづらい要因としてその意見を採用してしまうことです。

自分は内向的だからだめ。内向的だから上手くいかない。

でもそもそも内向的ということばをどうとらえているのか?ということを考えると、そういうことを言うひとはたまたま自分がだめな理由を内向的であることに据えているだけで理由は何でもいいと思っている気もします。

内向的かどうかは気質の問題で人間の良し悪しを決定できる事柄ではありません。
内向的だからだめ、ということは絶対にありません。問題があるとしたら何か別のこと・・・と思われるので、もっと広くご自分を見つめなおしてみてください。

ここで言う内向型とは

内向型とはひとの性格などをあらわす言葉として日常的にも使われうるものです。でも日常的に使う意味とこのサイトで使用するものは少し違うかもわかりません。

内向的であるとか外向的であるなどは気質とみなし、どちらかというと生まれつきのものというふうに捉えています。

内向的かどうかは物事の捉え方や処理の仕方が外向的とは違っているのだという様に考えます。内向的だから良い、悪いという考え方はしません。

ただまるっきり内向的なところないひと、外向的なところのないひとはいないとも考えます。

生まれつきの気質を大事にしつつ、そこにないものを補うことでバランスをとるのが良いんじゃないだろうかなぁ・・・というのが常々思っていることです。