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脳を鍛えれば内向的じゃなくなる?

内向的か外向型かというのは性格や人格によるものではなく、基本的には脳の性質によるものです。

となると、もしかしたら脳のトレーニングをすれば内向的にも外向的にもなれるのではという考えが浮かんでしまいます。

トレーニングをつむことによって、自然と内向型の振る舞いができる、もしくは外向型のようにも振る舞える、ということはありえるのか。

結論から言うと、脳を鍛えて内向的になったり外向的になったりすることはむずかしいと思います。
内向的かどうかということに関する脳の研究はそんなことがわかるほどには進歩していないからです。
ですからドーパミンが出れば出るほど楽しいと感じ、何をしても内向的な今ほど疲れない外向型になるための脳の鍛え方なんてものは存在しないのです。

より内向的に、もしくは外向的に振る舞う必要性を感じているのであれば、演じるほかありません。

テンションを上げて、俳優になったつもりで・・・。
意外と楽しいものですから、一度やってみてください。

つづき記事あります)

では、外向型ってどんなのだ?

このサイトを見てくださっている、ということはもしかしてみなさんは内向的でしょうか?

では内向的というものがどういうものかある程度はわかっていらっしゃるかも知れません。

それでは、外向型ってどんなひとのことを指すのでしょう。

内向型は、”物事の関心が、他人にどう思われるかよりも自分の内面に向かうひと”で、外向型は”物事の関心が、他人からどう思われるかということにあるひと”

そう言われてみればそうかも。でも、この区別だけでは何だかはっきりしない気もします。

と言うよりそういう心理学的な物の考え方って、哲学的でむずかしい。

じゃあ、ほかにどんな考え方があるのか?

まず、内向的なひとは外からの刺激をたくさん受けたりすると疲れてしまいます。

長い外出や、たくさんのひととの出会い、新しい物事に対処するなど、など。

では外向的なひとってどういう時に疲れてしまうのでしょうか。

外向的なひとは、たとえば何も刺激のない部屋のなかに一人でいたりすると、だんだん元気がなくなってしまうらしいです。

内向型なら、多少は”つまらないな”と思っても、まあ何とか過ごせる環境だったとしても、外向型にとっては刺激がなさすぎて疲れてしまうというのです。

確かにあまりにも退屈だと、何もしていないのに、”疲れたな”と感じることってあるように思います。

その”退屈だな”から”疲れたな”になるレベル、内向型がまだそうはならないシチュエーションでも外向型はとっくのむかしにそのレベルに到達してしまっているということです。

わたしたち内向型が”何だか刺激が多過ぎて疲れたな”と思っている時に、外向型は”なんだかほどよい刺激で元気がわいてきたな”などど思っている、らしい。

人間の気質って本当に不思議です。

内向的であることの個体差

個体差、要するに人によってすごく内向的なひととそれほどでもないひとがいるということです。

内向型について語る時、その対局にあるのが外向型です。

内向的であることの個体差は、この外向的な部分があるかどうかに関係するみたいです。

書籍によれば、その人が外向的か内向的かを判断するときには、”外向型”と”内向型”の間のどこに位置しているか?というような考え方をするそうです。

例えて言うならば、”内向型”を100という数値に置き換えた場合、ある人物を判断すると仮定して、内向型の数値がそのひとは80とするならば、あとの20は外向的な部分だというわけです。

しかし、それはあくまで例え話なのでそういう内向の度合いをはかる数値なんてものは存在しません。

また、絶対的な外向型や内向型も存在しないようです。まったく内向的な要素のないひと、もしくは外向的な要素のないひとはいないということです。

簡単に言うならば、内向的な要素が強いけれど、外向的な部分もなくはないというのがいわゆる内向型と呼ばれるひとなのです。

自分はとても内向的だけれど、実は外向的な部分もあるのだというのは何だか意外な気がします。

もし、自分の中の外向的な部分に気づくことができればよりバランスのとれた気質でいられるのかも知れません。