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ひとの楽しみにつきあう

内向型は、どんな楽しげなことでも刺激が多過ぎるとかえって疲れてしまいます。

そのため、世間でイメージされる楽しいこと、たとえば団体旅行や一般的なレジャーなどが内向型にとってかならずしも楽しいこととは限らない、ということが発生するわけです。

それどころか刺激的な状況がつづくと、ぐったりとしてしまいます。
そんな風になってしまえば、どんなことも十分に楽しめる筈がありません。

内向型は刺激に対して疲労を感じやすく、また疲労を回復させづらい体質なので、こまめに休息をとる必要があります。

とは言え、他のひとをよそに自分だけこまごまと休息するのにはちょっとした勇気と工夫が必要です。

例えば、まるで忍者のごとく、座る場所をまっさきにみつけては腰を下ろす、目をつむる、会話に参加するのをやめて好きなことに思いめぐらす。内省する。すーっといつの間にかみんなから離れてひそかにまた戻ってくる・・・。
(コツはひとごみにまぎれること)

やむをえず誰かの楽しみに合わせて行動せざるをえなければ、何とかしてそういう休息を隙間に盛り込む。

ちょっと大変だけど、ぐったりしてしまう前にやってみると案外いろんなことを楽しめるようになるので、ぜひためしてみてください。

扁桃体のはなし パートⅡ

前回、扁桃体の話しを書いた際に「内向型は特に扁桃体が活発に動く気質である、というはっきりした情報を見つけることはできなかった」と書いたのですが、それらしいものを見つけました。(すみません)

それは内向型は高反応、つまり刺激に対してより大きな反応をしめす可能性があるというものです。

アルコールをしませた綿棒をかがすとギャン泣きする赤ちゃんと、そんなに反応しない赤ちゃんとがいるそうです。
そしてギャン泣きしていた赤ちゃん、つまり高反応をしめした子供は成長すると内向的になるのかも知れないという研究をしている方がいらっしゃる、というもの。

高反応ならば、扁桃体も活発に動くと考えられるんじゃないか。その高反応が内向型とイコールになれば、内向型がひとと会った時に不安を感じるようなこと、人見知りするようなことがあってもおかしくはないのでは・・・。

ただし、経験から”初対面のひとと会うことはそれほど危険なことではない”ということを認識していたり、そういう学習や成長過程で得た性格などが影響をおよぼし、かならずしも「人見知り=内向型」と断言はできないようです。

科学的な研究も要注目ですね。

正論を言ってみるとこうなる

もし、内向的であるがゆえにひとから理解されないと悲しい気持ちになったり、疎外感を感じるようなことがあったら、私たちはどうすべきなのか?

自分のこころに耳を傾けてみてひとと違うと感じたり、みんなで騒いで楽しもうと誘われても、どうしても楽しそうとは思えなかったり。

そんな時、自分はこう思うからみんなと同じようにはできませんと伝えたとします。すると「これでいいのかな?」という迷いが発生してしまうでしょう。

そうなったら、一体どうすべきなのでしょうか。

実はその時点でなにかを対処すべきなのではなく、必要なのは日頃からの備えなのです。

みんなと違う行動をとるからと言って、敵意はない。みんなのことを嫌いなわけではないと伝えておく。態度で示す。

どんなささいなことにも”ありがとう”と感謝の気持ちを伝える。声にして出す。

そうやって好かれようと気にかけて、信頼を得ようと努力しておく。
そうすればいざみんなと違う自分がいても、大丈夫。
簡単に嫌われたり理解できない偏屈なひととみなされて悲しい思いをすることはなくなります。

・・・ってこれこそ正論!運動して間食しなかったら痩せるよって言うのと同じです!

みなさま、出来る範囲でがんばりましょう。

扁桃体のはなし

人見知りをされる方は、人と会う際に脳の扁桃体という部分が活発になり不安を感じるのだそうです。

内向型は特に扁桃体が活発に動く気質である、というはっきりとした情報を見つけることはできなかったのですが、自分は内向的かつ人見知りと感じていらっしゃる方は多いように思います。

扁桃体は、もし損傷があり正常に機能しないとなると恐怖心をいだくことがなくなり、たとえば危険を察知してそれを避ける能力もなくなってしまうそうです。危険ですね。

ですから、人見知りするということは扁桃体がある程度正常に機能しているということなのです。だからあなたが人見知りでも何も心配する必要はありません。

扁桃体とは関係ないのですが、人見知りすることを問題と思われるならば、むしろその本質は相手に対する自分の振る舞いに自分自身が納得していないということではないでしょうか。

会う人全員に好かれることは不可能です。
でも自分を好きになってくれる人だけ相手するわけにもいきません。

納得のいく振る舞いをするのはむずかしいことですが、ちょっとした工夫ならばできそうではありませんか。

去り際に何か心当たりがなくても、相手にひとこと「ありがとう」とかならず言ってみる。相手との距離感がうまくつかめそうにないなら、話題に関する”趣味の話はしない”などの自分ルールをあらかじめ作っておく、など。

ひと付き合いって本当にむずかしい。千里の道も一歩から、ですね。

なぜ飲み会に行きたがらない

「飲み会のお誘いを断るのは罪なのか?」の補足です。

飲み会 = できれば行かずに済ませたい事柄

ということについて説明したいと思います。

内向型は刺激が多過ぎると疲れます。そういうわけで、刺激的なことをかならずしも”楽しい!”とは感じないのです。

飲み会では、ひとも多く静かに食事するなどありはしません。ひとりで静かに飲んだり食べたりしていると、誰かが気を遣って話しかけてくれるくらいです。

でも、内向する(考えたり、物事を感じ取ったりする)ことで元気が出る内向型にとって、話し続けることはエネルギー補給ができないということ。

エネルギーを大量に消費するような刺激的な環境に身を置きながら、それでいて元気を回復させる暇がない。

あぁ。

しかも、内向型は感情にうったえかけてくるような事柄や、自分にとても関わりの深い事以外を記憶しておくのが苦手らしく、誰かの家族のこと、趣味のこと、仕事のこと、個人的なことなど、そしてあげくお名前なんかを忘れてしまうことがある。
(決して興味がないわけではないのですが)

そうなると、話すだけでも”わたし今がんばっている!”状態なのに、まさかの忘却によってお隣の席の方々と気まずい雰囲気になってしまうこともある。エネルギーも人間関係もピンチに陥ってしまいがちなのです。

しかも中座ってよっぽどでないと許されない・・・なぜ・・・。
参加するからには、毒喰らわば皿までが飲み会ではないでしょうか。

というわけで内向型は”できれば飲み会には参加したくないな”とつい思ってしまうのです。

飲み会のお誘いを断るのは罪なのか

飲み会。

飲めない人が含まれていても、飲み会。食事会。とにかく、ひとびとが集まって食事したりお酒を飲んだりする会。

新年会、送別会、歓迎会、慰労会、打ち上げ、懇親会、親睦会、忘年会。

とにかく、そういう会。

友人や家族以外の人と交流を持つことは意味のあることだし、学校や職場の仲間ならなおさら重要に感じられます。

また、他人の考えにダイレクトに触れられるチャンス、しかも受け身で自然発生的ないいチャンスです。

でも、人がたくさんいて、かならずしも気の置けないひとばかりではないそういう会に参加するのは、決して気軽ではありません。

では、断ってもいいのか?

結論は「いい!」

しかし、条件があります。

会をするには準備が必要で、忙しい勉強や仕事の合間にスケジュールを組んだりお店を探して予約したり、段取りを考えたり、そういう事をしてくれるひとがいることを知っておくべきです。そのひとは自分が企画した会に一人でも多くの人が参加してくれることを望んでいます。

そのひとに申し訳ないと思う気持ちと、そういう会に参加して例えば翌日の行動に影響が出てしまいそうなほどの疲労が予想されるだとか、そういうことを天秤にかけて判断しなければなりません。

相手を傷つけない程度に「用事がある」などとわかりやすい言い訳を思い切って使ってもいいですし、ただ「参加できません」と言ってもいいです。無理に理由を作ったり、ましてや”内向的でそういう会はとても疲れるから”などと説明する必要はありません。たいてい”何か事情があって行くことが出来ないんだな”と思ってもらえます。

毎回お断りもなしです!とってもしんどいのはわかるけれど、何か悩みがあるなら思いがけないところにヒントはあるものです。

そのヒントを見つけるのは、もしかしたら「飲み会」で、かも知れないですよ!

「なぜ飲み会に行きたがらない」の記事はこちら

ひとと会うと疲れる

家族、親しい友人、知人、同僚、初めて会う人。

誰というわけではなく、ひとと会うと疲れるってことがあると思います。

どんなに気の合う友人でも、どんなに気遣いの上手な知人でも関係ありません。

相手が誰であっても疲れるときは疲れてしまうのです。

それは、

ひと会う = 脳が刺激を受ける

ことだからです。

ひとと会うと、何を話したらいいだとか、どこへ行こうとか、いま自分が言ったことはちゃんと伝わったかな、いま言われたことの意味って何なんだろうとか、もう実にさまざなことをめぐり脳がフル回転。

そのうえ、相手の髪型、顔、服装などなど、すごくよく見てしまう。

疲れるのは当然とも言えます。

でも、たかだかひとに会っただけで、こんなにも刺激的な思いができるなんて内向型の特権です。

内向型は空気が読めない?

内向型が苦手としているもののなかでも”ひとに合わせる事”は、もはや悩みとして定番のように思います。日本ではよく「空気を読む」という言葉が使われ、協調性がとても大事にされているからです。

たしかに”空気=自分”が常に一致していればどんなに楽だろうとときどき考えます。
それが一致していないこともよくあります。他人と関わる以上それは仕方のないことです。

内向型は自分の感じたことや考えたことを重要視する傾向にあるため、空気を読まずに行動したいと思っても不思議ではないでしょう。たとえば、みんなでワイワイ騒いだりはしゃいだりしても楽しくはないと理解してもらうのはなかなか難しいので、”みんなで楽しもう!”という空気をあえて読まずに帰宅する、など。

空気を読むことを大事にして調和をはかる内向型もいらっしゃると思うので、”内向型=空気が読めない”と言われるのは悲しいですが、”空気を読むのが大変”という側面はあると思います。

なぜこんなにも疲れるのか?

どんなことでも、気力さえあれば乗り越えられる。と思っても内向型は疲れやすいのでなかなか何に対しても乗り切るのはやっとのことです。

そんななかで、あれこれと星の数ほど悩みを持ちながら、でも究極的な悩みってこれに尽きる気がします。

すなわち、”疲れやすい”という悩みです。

いろいろ悩んではいても、こうすぐ疲れさえしなければ少しずつでも順調に解決していけそうなのに、と。

さて、その悩みについてはこのサイトでも繰り返し考えて行く予定なのですが、まずはなぜこんなにも疲れるのか?ということについて整理してみます。

とりあえず簡潔に言うと、

・刺激を受けた時に脳の血流が多くなり疲労を感じやすいから
・神経伝達物質の動き方が原因で、消耗してから回復するまでに時間がかかるから

だと思います。

私が読んだ本を私なりに解釈したので語弊があるかもわかりません。
しかし当たらずとも遠からずではある筈。

いずれにせよ内向型が疲れやすいのは体力がないからでも気力がないからでもなく、脳の性質によるものなのです。

それは努力でどうにかなるものではないけれど、いろんなあきらめがつく分、前向きになっていいことだと思います。

内向的なのかな?

”自分は本当に内向的なのか?”というのは判断の難しいところかも知れません。

というわけで、今更ながら簡単なテストを作成してみました。

では次の項目に当てはまるかどうか考えてみましょう。

(1)比較的たくさんの人と会うイベントはそれがどんなものでも気が重い。
(2)何事においても、物事の中断が必要となる頼まれごとは苦手だ。
(3)親しい友人や家族といて会話がなくても平気なときがある。
(4)時間に追われるなどすると必要以上にプレッシャーを感じてしまう。
(5)毎度の週末や連休は外出せず家にいてもいいと思う。
(6)健康体なのに疲れを感じやすく”体力がないのかも?”と思う事がある。

すべてに当てはまれば”内向型”と判断できるよう設問したつもりです。ですので、ひとつでも当てはまるのならば”内向性あり?”と思いながら、ご自身について考えてみてください。