「外向型について」カテゴリーアーカイブ

分かり合えないのか

何考えてるの?とつい思ってしまう行動をとる人が全て自分とは違う外向的な人である。それは本当なのか?

自分が、人が、内向的か外向的か判断するのは難しいことだと思います。自分にも外向的なところはあるし、外向的な人だって四六時中刺激を求めて動き回っているわけじゃないでしょう。もちろん、当然のことながら心が傷つくこともある。

だから「あいつは外向的で、分かり合えっこない!」と言い切って拒絶することはできるけれど、それはもしかしたら間違いかもしれない。

外向的なふりをしている内向型かも知れないし、あなたの友人も意外と外向的かも知れない。

そもそも分かり合うというのは相当ハードルの高いことであって、分かり合うというレベルのハードルはその時々の会話レベルまで下げてもいいと思います。

内向的か外向的かということはあくまで手がかりの一つで、判断材料としてはあやふやなものということです。

真実はどこにある?

唐突ですが、内向型と外向型では見えている世界が違うように思います。
と言うより、そのくらいに思っていたほうがお互いに理解しやすいと思うのです。

例えば、同じ映画を見たのに全く違う感想が出てくる。ものの見え方や感じ方がかなり違うことを了解していないと、ただ単に相手は意味のない情報を映画から読み取っているのだ、と思いかねません。

外向型は悪い登場人物の魅力を語り、内向型はその人物に悪意はなく本当は良いひとの筈だ、などと言う。外向型はその登場人物に関する情報をあますところなく画面から感じ取り悪人と認識しながらもその魅力を認めるが、内向型はそこまで情報取得能力にたけていないのであくまで自分の感じたことと考えをヒントに人物描写を試みる。

どっちがいい、ということはありません。たぶん一番いいのは素直に情報交換をすることでしょう。

だけど、お互いに見えている世界は違うのだから、それぞれの意見にはそれぞれの真実があるという考えを持てていなければ、そういう渡り合いはしようがないのではないでしょうか。

外向型から盗め!

外向的なひとを見ていると、要するに他人がどう思うか?とかを物事に取り入れるのがすごく上手と思ってしまいます。

情報収集が上手だったりもするし、興味のあることがいつも外側に向いているように思えます。もちろん他人自体にも関心を持っているように見えるし、初対面のひとがたくさんいても疲れ知らずなんだろうな、という想像をしてしまいます。

内向型も外向型におとらず良いところがあると思うのですが、でも自分が苦手なことを少しでも良くしたいという気持ちはあるもの。

そういう時、外向的なひとがどういう振る舞いをしているかを観察することは大事だと思います。ただただ、”自分とは違うタイプのひとだな”とか”自分とは気が合わなさそう”と思うのではなく、なるほどそういう風にすれば好かれるのかもな、というような技を盗めるようになるかも。

外向型は生きやすいのか?

内向的な自分について考える時、つい外向型のほうが生きやすそうだなどと思ってしまうことがあります。でも、それって本当なのでしょうか?

外向型は外からの刺激を受けて元気が出るような、そういう気質のことを言います。ですからガヤガヤした刺激の多い場所が得意と言えます。または、主観的な判断を要することですら他人から見た場合にどう思われるかを大事にしている、という言い方をすることもあります。

刺激的な場所や状況を好み、他人の意見などに影響されやすい。

そう考えると、静かで穏やかな場所や状況を好み、自分の意見を大事にしている内向型と生きやすさで言えばとんとんという気がします。刺激的であろうとすればトラブルも多かろうし、他人に流されることがあるのならば自分と向き合うのも容易ではなかろうという想像をするからです。

内向的だと世渡りしづらいという実感もありますが、外向型のほうが生きやすいというのは短絡的すぎるようです。

ぼっちについて

ひとりでも楽しめるのは内向型の特権!などと勝手に思っていたのですが、最近外向的だなと思う方々のひとり行動について聞く機会があったので、内向型の特権という考えは勘違いっぽいと思うようになりました。

その外向的とおぼしき方いわく”好きなことならひとりでも全然楽しめる”だそうで、たぶんその”好きなこと”は外向型らしく流行りで人気の高いものだったりするのかも知れませんが、”ひとりでも全然楽しめる”のくだりは内向型とまったく同じだなと思いました。

ひとりでも楽しければいい!
でも、ひとりでは楽しくない!と思うならば、誰かを誘ったり声をかけたりする勇気は持っていた方がいいと個人的には思っています。

外向型も考えるのが好き

これまで、このサイトでは「内向型は考えるのが好き」と繰り返してきたのですが、外向型は考えるのが嫌いということなのでしょうか?

外向型は内面ではなく外界から情報を得るのが得意な気質です。

外向型は外界の情報を”知覚(見たまま)”によって得ているとすると考えるのが苦手ともとれます。しかし、”解釈(状況を考える)”と言葉を置き換えると、考えることなしに外界から情報を得ることなど出来はしません。

「内向型は考えるのが好き」というのは管理人の性質を強く反映した解釈のようです。すみません。
外向型にも考えるのが好きなひとはいると思います。

内向型を自己判断

何を今更というお話で大変恐縮なのですが、内向的か外向的かを判断するのは自分でも他人でもとても難しいことだと思います。

自分の内面に関心の全くないひとはいないでしょうし、外向的なひとでも悩みを抱えたら内向的であるかのような気分になるでしょう。

逆に内向的であるにも関わらず、育った環境からやたら社交性を発揮しており、自分は外向的と考えるひともいるのではないでしょうか。

内向的か外向的かという気質は生まれ持ってのものだそうですが、生まれた後の環境にひとは影響を受けます。自分の気質がわかれば自分の取扱いがわかり、自分とは異なる気質の行動を真似することで性格にも多様性が出てバランスを保ちやすくなります。ですが、自分の気質は何か?をすぐ決めてしまう必要はなく、じっくり吟味すればよいと思います。

ひとの性格を分類

心理学ではひとの性格を分類するという考え方があります。

よく言う血液型判断は話題には便利ですが、心理学的な根拠はないようです。
ただ”ひとの性格を分類する”という例え話としてはわかりやすいと思います。

その血液型のように性格を分類することを「類型論」と言うそうです。
だけど複雑な人間の性格をいくつかに分類するのは現実的に無理がある。

だからただ分けるのではなくむしろ評価するという考えの「特性論」というものもあるそう。血液型の例えなら、

”あのひとはA型っぽいところが大半だけど、B型っぽいところもちょっとあるよね”

というような。

内向的かどうかだけじゃなく、ほかのいろいろなことも見えてくるのでご関心のある方は専門書などで勉強してみてください。

ご参考にwiki「性格」

外向型とは気が合わない?

内向型のひと向けの書籍は見かけても、外向型のひと向けの書籍というのはあまり見ません。
おそらくあるのでしょうが、”外向型向け”とはっきりわかる題名ではないのだと思います。

そういうことからも、外向型は”自分は外向型だ”と強く自覚することがあまりないのかもと思ってしまいます。
それは自分がどういう人間か?を知ろうとする観点が内向型とはちょっと違うということをあらわすものかも知れません。

そんな価値観の違いを乗り越えて外向型と仲良くできるものなのでしょうか?

内向・外向ということを意識していなくても、他人の考え方や価値観が自分と違うことにびっくりすることはよくあります。だけどそれらが違うからといって嫌悪感を抱くかといえば、必ずしもそうではないものです。

「外向型」というくくりで考えると仲良くなれそうもないですが、すでに仲の良い友人に”この人は外向型かもな”というひとは案外いるのではないでしょうか。

人間ウォッチング

窓に向いてテーブルが配置されたレストランやカフェから外を見てそれを楽しめるかどうかは、自分が内向型か外向型かを判断するのに役に立つかも知れません。

内向型は注意力を必要とする仕事が得意と言われているそうです。
なので、空港の管制塔などに向いているとのこと。

反対に外向型はそういうったところではすぐに飽きてしまい、続かないのだとか。

内向型か外向型かを判断するのに、いちいち管制塔に就職してはいられないので、レストランやカフェで人間ウォッチングを楽しめるかどうかは、注意力を必要とする仕事に向くかどうかの判断材料になるのではないでしょうか。