「内向型について」カテゴリーアーカイブ

会話のコツ

内向型は外からの刺激をうけて脳が活発にうごくそうです。
脳が活発にうごくということは、刺激をまともに受けているということなので、いろんなことを考えたり感じたりすることにつながると言えます。

よく言えば感受性が豊かで、いろんなことに考えが及ぶとなるのかも知れません。
ですがすぐに頭がいっぱいになり、次から次へと入ってくる刺激を受け止め続けられないことにもなりえます。

そう言えば聞こえはいいですが、最悪の場合「ひとの話を聞いてない」という事態になります。

ひとの話を聞けない理由はいろいろあると思うのですが、思い当たることがよくあるのは会話を成立させるために次に自分が発言することを考え出すと、相手の話が耳に入ってこない、ということ。

相手が話してくれているなら、無理に話す必要はありません。あと、面白いことなんて言わなくていい。会話は聞く専門、そして相槌。これだけでどうにかなるものです。

話すこと書くこと

自分を表現する方法について考えてみるとなんだか芸術的なものを想像してしまいますが、日常的に話したり書いたりすることも自己表現のひとつと言えます。

外向的なひとは相手の言ったことをうまくとりこんで会話するのが上手という気がしてしまいます。
でも内向的であっても気心知れた相手とは上手く会話できるもの。環境や状況によってひとは表現が上手くなったり下手になったりするものなのです。

それに書くことは時間をかけたり、ひとりで練習したりできるものですから、内向型にとっては話すより得意でかつ有利かもしれません。

おおげさなことをしなくても自己表現ができる、話すこと書くことと向き合うことでいろんなことがうまくいくようになるかも。

愛されたい!

赤ちゃんというのは、周囲の関心をひきつけたり愛されようと動作する能力が生まれつき備わっているそうです。

そういう能力が大人になってからもあればいいのですが、そういう単純なことではなさそうです。

ひとが周囲に関心を持たれたり、気にかけてもらえるかどうかは本人次第という問題のほかにもいろいろな要因があります。

例えば、そもそも周囲に自分勝手なひとばかりなら自分を気にかけてくれようもないし、反対に自分がいつも身勝手ならば好かれようがありません。

そういう環境、自分の性格や見た目、経済状況や特技などありとあらゆるものによって愛されるか否かが決まってきます。

ちなみに内向的だから愛されないとは限りません。貧乏だから愛されないということもなければ性格が悪くてもなぜか好かれるひともいます。要はいろんな要因が重なり合っての結果だということです。

あの所為この所為と考えるのではなく、まず他人の気持ちを考えることが大事のような気がします。

ひととして成長するには

人格という言葉はちょっとむずかしいのですが、その人がどういう人か?ということを表すことばのひとつです。

人格が優れているとか、人格を否定されたとかいう風に使います。

このサイトでは気質は生まれ持った基本的な個人の性質というような意味で使っていますが、人格は生まれ持ったものだけでなく培ったものも含めてのことになるかと思います。

内向的なひとは生まれ持った気質の内向的であることを変えられない。だから反対に外向的に振る舞おうとしてみたりそういうことを考えたりすることが人として成長する助けになるのではないか?と私は思っています。

ひとは生まれてすぐの人格のまま生きてはいけません。成長しなければ社会ではやっていけないし良くも悪くも変化するものだからです。自分の気質に関心を持ち、そこから人格がどう変わっていくかを考えることは自分が成長することの大きなヒントになると思います。

人格は統一すべきもの?

多重人格ということばを聞いたことがあるでしょうか?

ひとりの人に色々な異なる人格が共存し、時と場合により表出する人格が変わってしまうというめずらしい現象です。しかし、最近読んだ書籍によると現代人にとってそういう現象は他人事ではないよう。

インターネットが普及して誰とでもいつでもつながれるようになると、相手の状況を常に考慮できるわけではないのにそうせざるを得なくなり人格をひとつに保つのが困難・・・というもの。

例えば、ひとりで泣きじゃくっているのに友人から幸せそうな報告がlineに送られてくると、幸福に水をさすのは悪いし、今自分がどうしようもなく悲しいことを相手は知る由もないのだからと、相手の幸福を喜んでいる返事を書く。

こういうことは今の日常ではあり得ることだけれども、泣きじゃくっている自分とline上の自分とは人格が一致しているとは言えないということです。

多重人格なんて自分には関係がないと思っていても、こうした日常を繰り返すなかでは自分にもいろんな人格が共存するということになるのかも知れないと思いました。

心的エネルギー

心理学を多少学んでみると、たまに”心的エネルギー”という言葉に遭遇します。

学術的な話になると、そもそもエネルギーという言葉の意味から考えなくてはならなくなるのでとりあえず置いておきます。
私たちが知りたいのはそういう学術的なことではなく、例えば心的エネルギーを失っても自分の努力で回復できるものなのか?というようなことです。

内向的だと外からの刺激に圧倒されてエネルギーをどんどん消耗していく感覚があります。でもエネルギーがどんどん回復して心の底から湧いてくるという感覚はあまり経験したことがないように思います。

心のエネルギーは回復させるのではなくセーブする、という方が実感に近いです。
できる努力があるとすれば、エネルギーを回復させる何かを探求するよりも、無理して刺激的な状況に長く身を晒さないほうが現実的な対策としてはよいでしょう。

家の仕事

掃除、洗濯、食事の用意・・・。外でも家の中でも働いて、生活というのは大変なものです。

内向型は家事が得意、ということは特にないと思います。それは、もくもくと作業する分には内向型に好まれそうと考えなくもないですが、家をきれいにしておくとか、見た目にも美味しそうな食事をつくるだとか、人の目を意識する動作が家事にはよく含まれているからです。

内向型だからと工夫できることが何かあるとすれば、溜め込みすぎてプレッシャーにしないこと、逆に完璧を目指してそれもプレッシャーとならないようにすることでしょうか。

何でも完璧にこなせればそれは素晴らしいことかも知れませんが必要なことでもありません。毎日掃除洗濯しなくてもまとめて出来るし、疲れた日は外食したり買ってきたものを食卓に並べたらいいのです。

ご自分のペースを掴み、健全で清潔な生活が送れるようにしましょう!

自分と向き合う

内向的であることを悪いことのように書かれることがあります。他人がどう言おうが関係ないという考えもありますが、問題は自分自身を肯定しづらい要因としてその意見を採用してしまうことです。

自分は内向的だからだめ。内向的だから上手くいかない。

でもそもそも内向的ということばをどうとらえているのか?ということを考えると、そういうことを言うひとはたまたま自分がだめな理由を内向的であることに据えているだけで理由は何でもいいと思っている気もします。

内向的かどうかは気質の問題で人間の良し悪しを決定できる事柄ではありません。
内向的だからだめ、ということは絶対にありません。問題があるとしたら何か別のこと・・・と思われるので、もっと広くご自分を見つめなおしてみてください。

外出したくない時

家から出たくない時というのは確かにあるものです。

例えば、熱はないんだけど何となくだるい。もしくはちょっと風邪気味。そういう体調のことだけでなく気持ちの面でも良くない時があります。

本当に体調の悪い時は別として、そういうちょっと頑張れば外出できそうな時に思い出していただきたいことがあるのです。

それは、じゃあ家にいれば体調は良くなり、気持ちも上向きになるのか?ということです。

家にいたい!外出したくない!という気持ちに嘘はないのですが、外出したらしたで気分が良くなることもある気がします。

よっ、聞き上手!

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

ところで内向型に限らずですが、ひとの悩み事などにどういうわけか自信満々にアドバイスしてしまうことがあります。
(管理人はある。言うなればこの記事もそう)

そして、相手の反応がいまいちだったことをして”失敗した”と気がつくのですが、その時はとりあえず手遅れです。

そんな失敗を繰り返していると、「もっと的確なアドバイスができるようにコミュニケーション能力を磨かなくては!」となったりするのですが、たぶんそれは最もただしい、少なくとも唯一の対処方法ではありません。

悩みを吐露する人は、「聞いてほしい」「共感してほしい」のであってアドバイスや結論をほしがっているとは限らないのです。

内向型は聞き上手!とわりとよく書かれています。
もし相手のリアクションがいつも微妙、ということがあるようでしたら、ぜひ一度ひたすら聞くということをやってみてください。