「内向型について」カテゴリーアーカイブ

誰とでもうまくやらなくていい!

内向的だと、初対面の人とうまくコミュニケーションが取れない、なんてことも多いかもわかりません。でも、すべての人と初対面からうまくいかないわけではないとも思うのです。

年上の異性なら、うまくいく。同年代の同性となら、うまくいく。趣味が合えば、既婚者なら、働いている社会人となら・・・。

だからうまくいかない経験がもしあっても、”私は社交的じゃないから・・・”
といった結論を出さなくていいと思います。

すべての人とうまくいこうとすれば、それはそれは大変なことです。しかし考えてみれば、あなたにも苦手なタイプの人はいるはず。その人はあなたとコミュニケーションをとった後、”私っておしゃべりが下手だから・・・”とか思っているかも知れません。要は、うまくいく、いかないはお互い様なのです。

無理に社交的になる必要はないけれど、すべての人とうまくいかないからと”人見知りだから”とか”社交は苦手”と思わずにいた方が、気の合う相手を見つけやすい、と私は思います。

分かり合えないのか

何考えてるの?とつい思ってしまう行動をとる人が全て自分とは違う外向的な人である。それは本当なのか?

自分が、人が、内向的か外向的か判断するのは難しいことだと思います。自分にも外向的なところはあるし、外向的な人だって四六時中刺激を求めて動き回っているわけじゃないでしょう。もちろん、当然のことながら心が傷つくこともある。

だから「あいつは外向的で、分かり合えっこない!」と言い切って拒絶することはできるけれど、それはもしかしたら間違いかもしれない。

外向的なふりをしている内向型かも知れないし、あなたの友人も意外と外向的かも知れない。

そもそも分かり合うというのは相当ハードルの高いことであって、分かり合うというレベルのハードルはその時々の会話レベルまで下げてもいいと思います。

内向的か外向的かということはあくまで手がかりの一つで、判断材料としてはあやふやなものということです。

そいつはラッキー!

何となく周囲から浮いてしまって落ち着かない環境というのはあります。
ちょっとした発言に対する自分へのみんなの反応が冷たいとか。

そういう時、何て自分はダメな人間なんだろうとか協調性がないとか、つい自分を責めてしまうこともあります。

反対に会社も悪くないとか学校に行くのが楽しみとかそんな人もいると思います。

それって偶然にも、自分と気が合う人とか内向的な人が集まっているとか、そういうことだと思うんです。

そんな偶然てラッキー以外の何ものでもないと思いませんか?

うまく行かないことはたくさんあります。でもうまく行くこともある。

うまく行かなくてもすべてを自分のせいにしたりしないで、ましてや内向的だからと思ったりしないで、環境とかタイミングとか色々と原因はあるものです。

自分と約束をする

人は自信がないと物事をうまく運ばせられないものですが、自信は自信でも根拠がないとどうにもならないし、かと言って自信が持てるような経験ってそんなにできるものじゃない。じゃあどうすればいいのか?

もしも自分と約束をして、それを果たすことができれば例え小さくとも自信になるのでは。

今夜は自炊しようと自分と約束をした。
帰ったら今日は1日どんな気持ちで過ごしたか書き出そうと自分と約束をした。
週末には衣替えをすると自分と約束をした。

そしてその通りにする。

誰かと約束をしたりするとハードルは不本意に高くなってしまうかもしれない。
でも自分との約束なら人に言わなくて良いから見栄だって張る必要がない。本当に必要なやるべきことを目標にできる。

そうやって自分との約束が果たされることで、少しずつ自信を持てるようになれば、それは素敵なことではないでしょうか。

心の入れ物

子供の頃、「たくさんのふしぎ」という月刊誌を購読していたのですが、その中に”人形は心の入れ物”という特集がありました。

ああ、そうかもなと思う一方で、大人になると人形だけじゃない色々なものが心の入れ物になっているような気がします。

テレビドラマを見て泣いたり、インターネット動画を見て笑ったり、広告で得意げな顔をする芸能人になんかムカついたり。

日常的に、色んな何かを通して私たちは感情を表出していると思うのです。

内向的な人は、心の中が忙しいのでそれを全てその都度表出するのは難しいのではないかと思います。だからこそ、その時どきの感情を代わりに受け止める器があると、気持ちも違ってくるでしょう。

皆さんも、自分の心の入れ物を見つけてみてください。

悩んでるならまずはこれ

内向的で、どうもことがうまく運ばない・・・と思っているなら、試すべきはまずこれです。

情報をシャットダウンする。

いろんなことがありすぎて頭がいっぱいになると疲れ切ってしまいます。
でもそれはいろんなことが起きていなくても同じなのです。

インターネットをずっと見ていたり、たくさんの人とおしゃべりしないといけない雰囲気だったり。

そういう時はスマホを置いて、もっと情報量の少ないものを見るように変える。
おしゃべりしなくてもいいような雰囲気の場所に身を移す。

そうやって情報をシャットダウン、もとい自分の心地よい情報量となるよう身を置く環境を変えるのです。

どうしたって情報量が多くなる状況はあります。就職活動だとか、試験前だとか。そういう時は焦らずに一歩一歩前進する他ありません。

疲れてしまっては、何事もうまく行かないものということです。

心の中は自由

昔、書店でアルバイトをしていたのですが、お客さんがひっきりなしにレジへやってくるというわけでもなかったので、長時間シフトが入っていると暇な時間もありました。その話を知人にすると「よく堪えられるね」とか言うから「心の中は何してても自由だから」と返すと、”は?”みたいなリアクションでした。

今にして思えば、サイキックな返事で怖いとわかるのですが、もしかしたら相手は「私なら退屈で堪えられない」と思っていたかも知れません。

そう考えると、内向的な人に向く職業というのは確かにありそうと思います。

静かで、じっくり考えたり、集中したりする時間が必要は仕事は、その類かも知れません。そういったことを退屈と思ってしまうなら勤まらないでしょう。

だからと言って暇な職場だとつまらない!ということはあります。また個人的には暇な職場にいると、社会人的感覚を養える機会が少なくなり、例えば忙しい人の気持ちが理解できなくなったりすると思っているので、あんまりおすすめしません。

先入観だけで志望先を決めるのではなく、とりあえず受けてみて、受け入れてくれたところに行くのも良いです。自分ではわからないくても、「この人ならやれそう!」と思って、雇ってくれることはあると思います。

イライラのもと

たまに「内向型で一番楽しい生き方ってどんなだろう?」と考えます。

隠遁生活だとか、自由気ままな生活が思い浮かぶのですが、それってあまりにも非現実的。現実的な所で考えると、会社員なら仕事がはければ帰って好きなことできて生活は安定してるし、まあまあ楽しい。

そんな感じで最もらしい結論など出ないのですが、「自分という特性をどう扱うか」ならもっと現実的に考えられそうな気がします。

人間の能力は有限で、節約しないと好きなようには生きられない。
では、どこをどう節約するのか?

そういう時は、”イライラのもと”を考えればいいかも知れません。

イライラした時、何にイライラしたのかを覚えておいて分析するのです。

イライラは感情を揺さぶられている証拠なので成長のチャンス。「今後の成長におけるあなたの課題はここ」と教えてくれています。もしくは、ストレスフルな相手を教えてくれている。もし、周囲に迷惑などかからないようならば相手に気づかれない程度に、その人を避けるのもアリだと思います。

イライラをサインと捉えて、自分の特性とうまく扱うことができれば、もっと好きに生きられるかも。

明るく振る舞えば人は寄ってくる?

アメリカの青春映画やドラマを見たことがある方は、はっきりとイメージしやすいと思うのですが、ポピュラーキッズあるいは人気者という人は世の中に確かに存在して、彼らはいつも明るくハッピーな雰囲気に包まれて、その名の通り人を惹きつける魅力ある人気者と言えます。

そういった彼らを模して、いつも明るく振舞っていれば自分も人を惹きつけられるかも知れない、とつい考えてしまうのですが、それは本当なのか?

まず、難しい問題に直面すると人はどうしても渋い顔をしてしまうもの。真剣に生きていれば、常に明るく振る舞うなんて無理じゃないかなと思ってしまいます。

人に心配させまいと明るく振る舞う人もいます。でもそれは、明るく振舞って人に心配かけまいとすることが、本人にとって心理的負担がより少ないからそうするのであって、無理にそうしているわけではない。要は単に、それはその人の特性の一つであって、その特性だけで人を惹きつけているわけではないと思うのです。

暗い顔をして沈黙していれば、それは人も寄ってこないでしょう。それを「明るく振舞っていないせい」だと考えるのは極端すぎます。

人を惹きつけるもの、それは「自分らしさ」やそれによっていかに「人生を謳歌してそう」に見えるかではないでしょうか。辛い時に思いっきり渋い顔をして大いに苦しむ。そういうことが人を惹きつけるのに、何の役にも立たないとは、どうしても思えないのです。

心が強いとはどういうことか

もっと強くなりたい、とか、強い人じゃないと幸せになれないとか言うことがあります。

でも、よく考えてみると心が強いってどういうことなのかよくわからない。

人間は自分の心を、例えば厳しい現実にさらして疲弊してしまわないように、自分に都合よく物事を解釈したり、楽観的に考えるものだそうです。そして、その方がむしろ健康的なのだとか。

けれども、物事を現実的に捉えようと努力する人がいたりします。そしてそういう人は厳しい現実に自分の心をさらしがちなので、感情が抑制できないことがあったり、抑うつ傾向にあったりする。

じゃあ、そういう現実を直視しようとする人は感情的で心が折れがちだったり、抑うつ状態になるから心が弱いのか?

そんなことを考えだすと、心が弱い、とか強いとかいうのはあまり意味がないような気がしてしまいます。

こうしよう!と決めていたのにやり遂げられなかったから、弱い。そういうのはあるかも知れません。だけど、自分ができそうなことしかやらなければ、”やり遂げられない”という状況に陥りようがありません。できないかも知れないことに挑戦しただけでも、心が強い!という考えが一方で出来てしまうのです。

最後になりましたが、内向的だから強い、弱いということも勿論ないと思います。