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心的エネルギー

心理学を多少学んでみると、たまに”心的エネルギー”という言葉に遭遇します。

学術的な話になると、そもそもエネルギーという言葉の意味から考えなくてはならなくなるのでとりあえず置いておきます。
私たちが知りたいのはそういう学術的なことではなく、例えば心的エネルギーを失っても自分の努力で回復できるものなのか?というようなことです。

内向的だと外からの刺激に圧倒されてエネルギーをどんどん消耗していく感覚があります。でもエネルギーがどんどん回復して心の底から湧いてくるという感覚はあまり経験したことがないように思います。

心のエネルギーは回復させるのではなくセーブする、という方が実感に近いです。
できる努力があるとすれば、エネルギーを回復させる何かを探求するよりも、無理して刺激的な状況に長く身を晒さないほうが現実的な対策としてはよいでしょう。

外向型は生きやすいのか?

内向的な自分について考える時、つい外向型のほうが生きやすそうだなどと思ってしまうことがあります。でも、それって本当なのでしょうか?

外向型は外からの刺激を受けて元気が出るような、そういう気質のことを言います。ですからガヤガヤした刺激の多い場所が得意と言えます。または、主観的な判断を要することですら他人から見た場合にどう思われるかを大事にしている、という言い方をすることもあります。

刺激的な場所や状況を好み、他人の意見などに影響されやすい。

そう考えると、静かで穏やかな場所や状況を好み、自分の意見を大事にしている内向型と生きやすさで言えばとんとんという気がします。刺激的であろうとすればトラブルも多かろうし、他人に流されることがあるのならば自分と向き合うのも容易ではなかろうという想像をするからです。

内向的だと世渡りしづらいという実感もありますが、外向型のほうが生きやすいというのは短絡的すぎるようです。

家の仕事

掃除、洗濯、食事の用意・・・。外でも家の中でも働いて、生活というのは大変なものです。

内向型は家事が得意、ということは特にないと思います。それは、もくもくと作業する分には内向型に好まれそうと考えなくもないですが、家をきれいにしておくとか、見た目にも美味しそうな食事をつくるだとか、人の目を意識する動作が家事にはよく含まれているからです。

内向型だからと工夫できることが何かあるとすれば、溜め込みすぎてプレッシャーにしないこと、逆に完璧を目指してそれもプレッシャーとならないようにすることでしょうか。

何でも完璧にこなせればそれは素晴らしいことかも知れませんが必要なことでもありません。毎日掃除洗濯しなくてもまとめて出来るし、疲れた日は外食したり買ってきたものを食卓に並べたらいいのです。

ご自分のペースを掴み、健全で清潔な生活が送れるようにしましょう!

自分と向き合う

内向的であることを悪いことのように書かれることがあります。他人がどう言おうが関係ないという考えもありますが、問題は自分自身を肯定しづらい要因としてその意見を採用してしまうことです。

自分は内向的だからだめ。内向的だから上手くいかない。

でもそもそも内向的ということばをどうとらえているのか?ということを考えると、そういうことを言うひとはたまたま自分がだめな理由を内向的であることに据えているだけで理由は何でもいいと思っている気もします。

内向的かどうかは気質の問題で人間の良し悪しを決定できる事柄ではありません。
内向的だからだめ、ということは絶対にありません。問題があるとしたら何か別のこと・・・と思われるので、もっと広くご自分を見つめなおしてみてください。

外出したくない時

家から出たくない時というのは確かにあるものです。

例えば、熱はないんだけど何となくだるい。もしくはちょっと風邪気味。そういう体調のことだけでなく気持ちの面でも良くない時があります。

本当に体調の悪い時は別として、そういうちょっと頑張れば外出できそうな時に思い出していただきたいことがあるのです。

それは、じゃあ家にいれば体調は良くなり、気持ちも上向きになるのか?ということです。

家にいたい!外出したくない!という気持ちに嘘はないのですが、外出したらしたで気分が良くなることもある気がします。

よっ、聞き上手!

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

ところで内向型に限らずですが、ひとの悩み事などにどういうわけか自信満々にアドバイスしてしまうことがあります。
(管理人はある。言うなればこの記事もそう)

そして、相手の反応がいまいちだったことをして”失敗した”と気がつくのですが、その時はとりあえず手遅れです。

そんな失敗を繰り返していると、「もっと的確なアドバイスができるようにコミュニケーション能力を磨かなくては!」となったりするのですが、たぶんそれは最もただしい、少なくとも唯一の対処方法ではありません。

悩みを吐露する人は、「聞いてほしい」「共感してほしい」のであってアドバイスや結論をほしがっているとは限らないのです。

内向型は聞き上手!とわりとよく書かれています。
もし相手のリアクションがいつも微妙、ということがあるようでしたら、ぜひ一度ひたすら聞くということをやってみてください。

黙ってるのは罪じゃない

年末年始、たくさんの、しかも久々にそのひと達と会うという機会が増えます。
参加することはいいことですし、とりあえず行っとこう!と思います。

だけど、その場で疲れすぎて失敗したりするのは避けたいもの。
ではどうすべきなのか?

まず、気の利いたことを言わないのは罪ではありません。それどころか黙っていることすら許されるものです。黙って機嫌よく食事したりみんなの話を聞いていればそれで十分です。

それに加えて自分らしくいられれば疲れずに済むかも、という希望は捨てた方がいいと思われます。
たくさんの久々に会うひとのいる場で自分らしく振舞うのは至難の技なのです。

では、今年もありがとうございました。
よいお年を!!

ぼっちについて

ひとりでも楽しめるのは内向型の特権!などと勝手に思っていたのですが、最近外向的だなと思う方々のひとり行動について聞く機会があったので、内向型の特権という考えは勘違いっぽいと思うようになりました。

その外向的とおぼしき方いわく”好きなことならひとりでも全然楽しめる”だそうで、たぶんその”好きなこと”は外向型らしく流行りで人気の高いものだったりするのかも知れませんが、”ひとりでも全然楽しめる”のくだりは内向型とまったく同じだなと思いました。

ひとりでも楽しければいい!
でも、ひとりでは楽しくない!と思うならば、誰かを誘ったり声をかけたりする勇気は持っていた方がいいと個人的には思っています。

ここで言う内向型とは

内向型とはひとの性格などをあらわす言葉として日常的にも使われうるものです。でも日常的に使う意味とこのサイトで使用するものは少し違うかもわかりません。

内向的であるとか外向的であるなどは気質とみなし、どちらかというと生まれつきのものというふうに捉えています。

内向的かどうかは物事の捉え方や処理の仕方が外向的とは違っているのだという様に考えます。内向的だから良い、悪いという考え方はしません。

ただまるっきり内向的なところないひと、外向的なところのないひとはいないとも考えます。

生まれつきの気質を大事にしつつ、そこにないものを補うことでバランスをとるのが良いんじゃないだろうかなぁ・・・というのが常々思っていることです。

考えすぎはよくないよ、と言われたら

考えごとをずっとしていると、なんとなく息苦しいというか、頭が痛いというか、そういう感覚に陥ることがあります。

そういうときは考えごとを「想像」と「妄想」に分類してみてはどうでしょうか。

「想像」は考えの中で物事が展開するけれど、「妄想」は展開はせず同じ考えや場面が繰り返されるだけで先に進みません。

もしこの分類によって頭の痛い考えごとから「想像」だけをのこし「妄想」を捨て去ることができたら、考え始めてから結論に至り行動するまでの時間や考えごとの量を大幅に削減できて、”考えすぎる”ということがなくなるかも。