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見た目で気質が分かる?

内向的なひとの特徴を考察していると、外見的な共通点を見つけるのはむずかしいように思われます。

見た目でわかりやすいのは体型ですが、まさにそこから内向的かどうかを判断するのは無理のようです。

客観性を気にする外向型ならばダイエットにいそしむ筈、と思ってもそうとは限らないようですし、反対に内向的ならストイックにダイエットに励むのでは、という考えも持ててしまいます。

また心理学の本を読むと、クレッチマーというひとが体型でひとの性質を分類したことの紹介があったりするのですが、あまり肯定的な扱いではないようです。

注意深く内面を探っても、気質をはっきり見出すのはむずかしい。見た目でそれを知ろうとするのは尚更のようです。

読書のコツ

内向型は読書好き、というイメージがあるような気がします。たまたま読んだ内向型に関する書籍の著者が自分のことを読書好きとしているせいかも知れません。

当たり前ですが内向的かつ読書が好きというひとは間違いなくいます。しかしすべての読書好きが内向的なわけではありません。自分が考えたのではないことを読み続けるという行為はむしろ外向型に向いているような気すらします。

というのも管理人は読書が苦手です。

本に書いてある他人の考えと自分が感じていることが拮抗してなかなか読み進められない、書いてあることが理解できないということがしばしば起こるからです。

それでもその本をぜひ読みたいという気持ちがある時は、音読します。音読という行為は、自分の考えをひとまず置いて、書いてあることに集中させる働きがあるらしいのです。

ちょっと幼稚な行為のような気もしますが・・・。

感情と向き合う

内向型は人付き合いを苦手とすることがあるそうなので、人付き合いで大事なことって結局何なのか考えてみました。

人付き合いで大事なことは、自分や相手の感情と向き合うことじゃないかと思います。

自分が何か言って、相手がよろこぶ。

相手が何かやって、自分がむっとする。

うれしいことがすべて理屈で説明できるなら、人を喜ばせることはもっと簡単だろうし、反対に悪意や他意のない発言に無性に腹の立つこともあります。

自分の発言で相手の機嫌が悪くなったら、その発言がどんなに理にかなっていても良くはないのです。だから、発言を理屈で説明しようとするのではなく、まず相手の感情を素直に受け止めるべきだと思います。

同様に自分の感情も安易に否定すべきではありません。もちろん、感情を抑えることでその場がうまくいくこともあるでしょうが、素直に伝えていい時もあるし怒っているのにそれを認めないことで相手との関係に混乱が生じてしまうこともあります。

相手の感情を素直に受け入れて、自分の感情を認められたら、人付き合いは多少なりとうまくいくと思います。

内向的で困ること

内向型は外からの刺激をより大きなものとして受け止める気質です。

なので大したことのない事や、一見何も起こっていない状況などでも観察したり考えたり、内面を忙しくしていることもあります。

そこで困るのが、内面はひとから見えないので、他人から理解されづらいということが発生することです。

自分としては色々考えたり、ものを見たりしているのに、ついぼーっとしているとか、何を考えているかわからないと思われたりするようなのです。

そんな状況を打破するためにたまに逆にはっちゃけて失敗することも・・・。

ひとから理解されたいと思うことは大事なことなので、困っていること自体は悪いことではありません。でも内向的ながらひとに理解されたり親しみを持ってもらうのはなかなか難しいので、周りのひとと地道にコミュニケーションをとっていくべきだと思います。

外向型から盗め!

外向的なひとを見ていると、要するに他人がどう思うか?とかを物事に取り入れるのがすごく上手と思ってしまいます。

情報収集が上手だったりもするし、興味のあることがいつも外側に向いているように思えます。もちろん他人自体にも関心を持っているように見えるし、初対面のひとがたくさんいても疲れ知らずなんだろうな、という想像をしてしまいます。

内向型も外向型におとらず良いところがあると思うのですが、でも自分が苦手なことを少しでも良くしたいという気持ちはあるもの。

そういう時、外向的なひとがどういう振る舞いをしているかを観察することは大事だと思います。ただただ、”自分とは違うタイプのひとだな”とか”自分とは気が合わなさそう”と思うのではなく、なるほどそういう風にすれば好かれるのかもな、というような技を盗めるようになるかも。

会話のコツ

内向型は外からの刺激をうけて脳が活発にうごくそうです。
脳が活発にうごくということは、刺激をまともに受けているということなので、いろんなことを考えたり感じたりすることにつながると言えます。

よく言えば感受性が豊かで、いろんなことに考えが及ぶとなるのかも知れません。
ですがすぐに頭がいっぱいになり、次から次へと入ってくる刺激を受け止め続けられないことにもなりえます。

そう言えば聞こえはいいですが、最悪の場合「ひとの話を聞いてない」という事態になります。

ひとの話を聞けない理由はいろいろあると思うのですが、思い当たることがよくあるのは会話を成立させるために次に自分が発言することを考え出すと、相手の話が耳に入ってこない、ということ。

相手が話してくれているなら、無理に話す必要はありません。あと、面白いことなんて言わなくていい。会話は聞く専門、そして相槌。これだけでどうにかなるものです。

話すこと書くこと

自分を表現する方法について考えてみるとなんだか芸術的なものを想像してしまいますが、日常的に話したり書いたりすることも自己表現のひとつと言えます。

外向的なひとは相手の言ったことをうまくとりこんで会話するのが上手という気がしてしまいます。
でも内向的であっても気心知れた相手とは上手く会話できるもの。環境や状況によってひとは表現が上手くなったり下手になったりするものなのです。

それに書くことは時間をかけたり、ひとりで練習したりできるものですから、内向型にとっては話すより得意でかつ有利かもしれません。

おおげさなことをしなくても自己表現ができる、話すこと書くことと向き合うことでいろんなことがうまくいくようになるかも。

愛されたい!

赤ちゃんというのは、周囲の関心をひきつけたり愛されようと動作する能力が生まれつき備わっているそうです。

そういう能力が大人になってからもあればいいのですが、そういう単純なことではなさそうです。

ひとが周囲に関心を持たれたり、気にかけてもらえるかどうかは本人次第という問題のほかにもいろいろな要因があります。

例えば、そもそも周囲に自分勝手なひとばかりなら自分を気にかけてくれようもないし、反対に自分がいつも身勝手ならば好かれようがありません。

そういう環境、自分の性格や見た目、経済状況や特技などありとあらゆるものによって愛されるか否かが決まってきます。

ちなみに内向的だから愛されないとは限りません。貧乏だから愛されないということもなければ性格が悪くてもなぜか好かれるひともいます。要はいろんな要因が重なり合っての結果だということです。

あの所為この所為と考えるのではなく、まず他人の気持ちを考えることが大事のような気がします。

ひととして成長するには

人格という言葉はちょっとむずかしいのですが、その人がどういう人か?ということを表すことばのひとつです。

人格が優れているとか、人格を否定されたとかいう風に使います。

このサイトでは気質は生まれ持った基本的な個人の性質というような意味で使っていますが、人格は生まれ持ったものだけでなく培ったものも含めてのことになるかと思います。

内向的なひとは生まれ持った気質の内向的であることを変えられない。だから反対に外向的に振る舞おうとしてみたりそういうことを考えたりすることが人として成長する助けになるのではないか?と私は思っています。

ひとは生まれてすぐの人格のまま生きてはいけません。成長しなければ社会ではやっていけないし良くも悪くも変化するものだからです。自分の気質に関心を持ち、そこから人格がどう変わっていくかを考えることは自分が成長することの大きなヒントになると思います。

人格は統一すべきもの?

多重人格ということばを聞いたことがあるでしょうか?

ひとりの人に色々な異なる人格が共存し、時と場合により表出する人格が変わってしまうというめずらしい現象です。しかし、最近読んだ書籍によると現代人にとってそういう現象は他人事ではないよう。

インターネットが普及して誰とでもいつでもつながれるようになると、相手の状況を常に考慮できるわけではないのにそうせざるを得なくなり人格をひとつに保つのが困難・・・というもの。

例えば、ひとりで泣きじゃくっているのに友人から幸せそうな報告がlineに送られてくると、幸福に水をさすのは悪いし、今自分がどうしようもなく悲しいことを相手は知る由もないのだからと、相手の幸福を喜んでいる返事を書く。

こういうことは今の日常ではあり得ることだけれども、泣きじゃくっている自分とline上の自分とは人格が一致しているとは言えないということです。

多重人格なんて自分には関係がないと思っていても、こうした日常を繰り返すなかでは自分にもいろんな人格が共存するということになるのかも知れないと思いました。