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考えたからいいってものでもない

内向型は比較的考えるのが好きな気質です。
ちなみに、何か考えている風に見えて、本当は何も考えていないひとは直感やそれまでの経験によって物事を判断しているらしいです。

何も考えないよりは考えたほうがいい。
でも考えたからって何もかも上手くいくわけじゃない。

感情が大いに影響を及ぼし冷静に物事を考えられていない時もあるし、考え方に
くせがついていて結局いつも同じ結論にたどり着いているということもあります。

そうなると直感や経験に勝る考えをしているとは言いづらいでしょう。

気持ちとしてはやりづらいけれど・・・。今自分が考えていることって本当の所
どうなんだろう?と振り返るくせをつけたほうがいいようです。

安上がりでごめんなさい

私はyoutubeが大好きなのですが、他人がゲームしてる様子を毎日機嫌よくチェックしているのをして何て安上がりな趣味なのだろうと自覚せざるを得ません。

内向型がすべてそうとは限らないでしょうが、比較的感じやすい傾向を持っているらしいということは心理学研究において語られることではあります。

屋外で興奮するような体験をしないどころか、屋内で、しかも自分でゲームするならいざ知らず、それすらせずにPC画面を見て30分も手に汗握りうれしそうにニヤニヤ笑っていられる・・・。

たぶん私は、何十時間もかけてパリのルーブル美術館へ行き人混みの頭越しに見るモナリザより、子供向けの絵本にプリントされたそれに魅了されたまま何年も過ごせる人間です。

感じやすいと他人に信じてもらえない程にしばしばうちのめされたまま職場から帰宅する羽目になるのですが、ここまで安上がりだと自分の性質も悪くないと思えてくるものです。

人気者になりたい!

社交的だと、みんなの人気者になれてきっと幸せ。
そんな想像をよくしてしまいます。

そういう人たちの幸せを疑うことに意味もないのですが、自分と他人をくらべてどっちが幸せか?というのはつい考えてしまうことでもあります。SNSでみんなに囲まれたそういう人たちの写真を見ると、なんだか気持ちが落ちてしまう。そんなことすらあります。

だけどもう少し想像を膨らませてみると、じゃあみんなに囲まれたパーティーって居心地がいいものかしら・・・?

残念ながらその想像の中で自分は、なんとかお馴染みのひとと一緖に、壁にくっついて静かに食事したりお喋りしたいと願っていたりします。

でも想像するだけでなく実際に経験すればそんな考え(人気者は幸せな筈)ともおさらば出来るかも。みんなに囲まれるようになるまで無理してでもパーティーに頑張って出続ける。そうやっていくうちに納得できたら、自分だけの幸せが見つかるものなのかも。

すべては内向的であるがゆえ?

内向的である事が良くないことのように言われてしまうと、うまく行かない色んなこと(たいていは人間関係と思われる)は、すべてそのせいであるような気がしてしまいます。

もし私が外向的だったら、こんな問題はなかっただろう。
少なくとももっとスマートに解決できる筈だ。

しかし残念なことに、物事はそう単純ではありません。

あなたが外向的だったら、きっとすべてが変わってしまう。下手をすればここにいないかも知れない。
あなたがどんな気質を持っているかによって周囲の接し方は変わっただろうし、それがあなた自身の人格形成にも影響を及ぼしただろうと考えられるからです。

だけど、気質が変われば色んなことが違ったであろうのと同時に、気質以外の色んなことがあなたに影響を及ぼしているものです。

知りようもないことですが、複数の要因から成り立っていると思われるその悩みは外向的であっても案外同じかも。

興味がない!

内向型は、興味のあることには饒舌であるが関心のないことは全く気が向かないらしい。

確かに心当たりのあることです。
でも、関心がないってどういうことなのか?

改めて考えてみるとよくわからないことです。そもそも関心がないのだから、それは何故などと考えたりしないものかも知れません。

おそらく関心の持てない事というのは、感情が動かされない事なのだと思います。

良くしてもらっても、うれしくなければ関心が払えない。逆に、すごく悲しかったから自分の体験に関心を持ちすぎてしまう。

ということは多少感情をコントロールすることができるようになれば、関心と無関心の広くて深い溝をちょっとずつ埋められるようになるのでしょうか・・・。

言っても同じ?

内向型はコミュニケーションがあまり上手ではないという言われ方をすることがあります。

でも他愛のないことでもひとと話すのは大事なことです。
また、「ごめんなさい」とか「ありがとう」の言葉は大切です。

言ったところで「いいよ」とか「気にしないで」とか相手は言ってくれるかも知れません。でも、それは「ごめんなさい」や「ありがとう」を言わなかった場合の心の声と同じじゃない。

言ったからこそ言ってもらえた「いいよ」や「気にしないで」であって、言わなくても良かった、許してもらえた、という意味ではないのです。

どうせ言っても同じだし話すのは苦手だからと避けてしまうと、せっかく”悪いな”とか、”うれしかった”と思っていても伝わらないのです。

備えあれば憂いなし

内向型は社交が得意でなくても、自分が興味を持っていることはスラスラと、それどころか周りがウンザリするくらいに話す。

これは内向型に関する書籍で目にする内向型の特徴のひとつです。

すべての内向型にあてはまるわけではないでしょうが、著者は自重をこめてそう書いたのでしょうし多少身に覚えもあるので気をつけてはいます。

しかし逆に先日、自分が興味を持っていることにどういうわけか関心を持ってくださる方がいて説明する羽目に。そして他人からの関心ありきで説明することなど考えていなかったので悔いの残る風にしか話せず。

せっかく興味を持って接する対象があるなら、ひとにどう説明すればいいか、説明する機会があるかどうかわからないけれど、自分なりにまとめておけばよかったなと思ったりしました。

実際にそうする機会がないならただの妄想になりかねないですが、自分の興味がどうやったらひとに伝わるのかを考えておくことは、人付き合いをする上で意外と大事なのかも知れません。

仕事について

管理人は営業事務をしています。

いろんなところから電話やメール、faxがきて順番に効率良く処理していかなければならない多少の忙しさを伴う仕事です。

仕事を与えられたらそれが急がない仕事なのか急ぐ仕事なのか判断して順番に処理していきます。時には今やっていることより新しくきた仕事のほうが急ぐ、ということもあり得ます。物事を中断するのを得意としない内向型という観点から言えば、向いてない仕事と言えます。

でも私はこの仕事が嫌いではありません。もちろん仕事(に限らず何でもそうですが)なので嫌なことは山ほど起こります。失敗もします。

星の数ほど失敗と成功を繰り返し、劇的ではないにしろ少しずつ自分が成長していく感覚が好きなのかも知れません。

就職で迷っているひとがいたらと思い、自分の仕事のことを書きました。
内向型に100%合う仕事などないような気はします。また仕事というものは誰かの為に何かをしてお金を貰うことです。そういうレベルの話からすればどんな仕事もやることは同じかも知れません。

満足して暮らす

日々何のためにちょこまかと悩み苦しみそしてさまようのかと考えた結果、自分はどうやら”どうしたら満足して暮らしていけるか?”を追い求めているいらしいと思い至りました。

買ってきた間違いなくおいしいものよりも、自炊したほうが満足感が得られる。
流行を追いかけるより、丈夫で長持ちしそうな服を着ているほうが満足できる。
ちょっとだけ外出をして、あとは家のなかで過ごせると満ち足りた気分になれる。

自分が満足するかどうか?は、その行為をイメージでとらえるのではなく、実感としてどうか?ということをきちんと考えることが大事です。それは内向型の得意とするところのような気がします。でも上に書いたような目先の、かつ自分だけの満足を追求するあまり空回りすることも。

なかなか出来ないことではありますが、他人の満足に関わることがまわりまわって自分の満足につながることもある、というところまで考えられるようになりたいものです。

内向的になってしまった・・・

どういうわけか有名人などの人生を語る際に”つらいことが重なって内向的な性格になってしまった”と書かれることがあります。

言いたいことはわかるのだけれど、少なくともこのサイトで使っている内向的ということばの意味からすれば、その言い回しは間違いです。そのことは散々書いているので今回は置いておいて、なぜそういう書かれ方をするのか?について考えたいと思います。

つまるところは、つらいことが重なるあまり自分がつらいと思うことのほかには関心を向けづらくなった、というようなことだと思います。関心が自分のつらいこと、つまり自分の気持ち、内側にあるという意味です。

たぶん、なのですが本来は外向的だったひとが内向的になってしまうのは悲劇的だし、内向的な人間が外向的にならざるを得ない状況に置かれるのも悲劇のもとのように思わます。

ただ、内向的だったのに外向的になってしまった・・・、とは書かれない。内向的なひとが外向的になるより、外向的なひとが内向的になるほうが周囲の関心をひく、というだけのような気もしますが、良く言われないのはやっぱり気になります。