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本を読むと疲れる

ひとによって、視覚から情報を取り込むのが得意、聴覚から情報を取り込むのが得意、言語から情報を取り込むのが得意などという傾向があると思います。

内向型に関する書籍を読んでいると、

内向的 = 読書が好き

というイメージがちらほらと出てくるのですが、私は読書が苦手です。

まず、本を読むと視覚イメージがどんどん膨らんでなかなか前に進まず、そうやって集中力はすぐに失われ脱線します。

そしてがんばって、そういうイメージを意識的に制限しつつ読み進めると、外出した時みたいにぐったりと疲れます。

わたしにとっては、

読書 = めちゃくちゃ疲れる行為

なのです。

それに対し、絵本や漫画など絵によって情報が限定されているとすんなり情報を取り込めます。

ですが、よく「読書とか好きそう」と言われます。好きか嫌いかで言えば、好きなのでしょうが、何しろ疲れるし昔から国語より算数が得意なたちで得意でもないので、大好きではないのです。

どういうひとと会えば疲れずに済むのか

”誰かと会う、その誰かによって、そのひとと会うときだけは100%疲れずに済ませられる!”

なんてことってあるんでしょうか。

内向型は、刺激を受けたときに脳が活発に動き疲労を感じます。

となると、

疲れる相手=脳が活発に動くような刺激を与えてくるひと

となります。

例えば、そのひとと会うと昔のことをたくさん思い出して脳がより活発に動く、など。

ではその反対は、

疲れない相手=脳が活発に動くような刺激を与えてこないひと

おそらく、ある一定の距離感を保っている相手、それより近くても遠くてもあれこれ考えてしまって疲れてしまう一線があります。

その一線はひとによって違う。

家族がそれにあたるひともいれば、毎日会う会社の同僚というひともいるでしょう。

その距離感を探って意識してみると、人前で疲労のピークを迎えることが減り、人付き合いもより気楽になるかも知れません。

ひとと会うと疲れる

家族、親しい友人、知人、同僚、初めて会う人。

誰というわけではなく、ひとと会うと疲れるってことがあると思います。

どんなに気の合う友人でも、どんなに気遣いの上手な知人でも関係ありません。

相手が誰であっても疲れるときは疲れてしまうのです。

それは、

ひと会う = 脳が刺激を受ける

ことだからです。

ひとと会うと、何を話したらいいだとか、どこへ行こうとか、いま自分が言ったことはちゃんと伝わったかな、いま言われたことの意味って何なんだろうとか、もう実にさまざなことをめぐり脳がフル回転。

そのうえ、相手の髪型、顔、服装などなど、すごくよく見てしまう。

疲れるのは当然とも言えます。

でも、たかだかひとに会っただけで、こんなにも刺激的な思いができるなんて内向型の特権です。

脳のはなし

内向型か外向型というのは、生まれつきの気質らしいのですが、結局のところ何が違うのか?

わたしがこれまでに知り得た情報によると内向型は、

・ドーパミンの感受性がつよい
・受けた刺激が脳をめぐる経路が長い

脳内でドーパミンが増えると”楽しいな”と感じるらしいのですが、内向型はその感受性が強いので、ちょっとドーパミンが増えただけでも”楽しい”と感じます。
反対に、外向型はドーパミンが大量に増えないと”楽しい!”と感じないらしく、ドーパミンがたくさん増えるような刺激的なことを好みます。

また刺激が脳内のより長い経路をめぐり、言語野や前頭葉を経た結果あれこれといろいろ考えるはめになるようです。

脳だとか、神経だとかの研究はずっとこれからもされて行くと思うので、これが未来永劫、最新情報ではないでしょうが、ご参考までに。

内向型、旅する

ちょっとしたことも刺激的に感じて、すぐに疲れてしまう内向型が旅行するときの心得について考えてみました。

内向型はひとところを長く旅することを好み、外向型はあちこち移動しながら旅することを好むそうです。

もし、ひとところに長くいるのならば、滞在先の居心地がよいに超したことはありません。

以前、わたしが旅行記をネットに載せたところ、知人いわく

「ホテルのことしか書いていなかったので、旅先で何をしてたかぜんぜんわからなかった」

そうです。

どこへ行くか、何をするかが旅行において大切なのは言うまでもありませんが、どこに滞在するか、宿泊するのかも内向型にとっては重要と言えます。

ちょっとした休息、旅先で得た情報や体験の整理、お昼寝のための空間を確保しておく必要があるからです。

無理に休んだり、滞在先にものすごくこだわったりする必要はないですが、たとえホテルに長くいたとしてもそれはそれでいい思い出になります。

内向型ってこうだ、という思い込み

むかし、友人に「内向的なんだね」と指摘されて、

「あぁ、内気だしね」と返したら、

「内気じゃないよ、ぜんぜん」

と言われました。

当時は内向型について何も知らなかったし、意識も自覚もなかったので深く考える事もしなかったのですが、今あらためて思い返すと、確かにわたしは内気ではないようです。

こんな風に、”内向的だから絶対にこう”というところに、思い込みをしていることはある気がします。

内気、恥ずかしがりや、人見知り、人ぎらい、社交的でない・・・。

正直に言って、どこに線引きがあるのかはむずかしくてはっきりわかりません。
しかしながらわたしには上記のどれも当てはまりません。

社交的なひとならこうする筈、人見知りでなければこんな風に感じたりはしないなどという事も含めて、思い込みをいったん捨ててしまえば、意外と社交性を発揮できたり出会ったその日に誰かと意気投合したりすることもあります。

もちろん、まずその場にある程度なじんでから少しずつ会話したり、疲れたなと感じたら退散したり休んだり、内向型であることをふまえて焦らず思うようにされる必要はあると思います。

内向型は空気が読めない?

内向型が苦手としているもののなかでも”ひとに合わせる事”は、もはや悩みとして定番のように思います。日本ではよく「空気を読む」という言葉が使われ、協調性がとても大事にされているからです。

たしかに”空気=自分”が常に一致していればどんなに楽だろうとときどき考えます。
それが一致していないこともよくあります。他人と関わる以上それは仕方のないことです。

内向型は自分の感じたことや考えたことを重要視する傾向にあるため、空気を読まずに行動したいと思っても不思議ではないでしょう。たとえば、みんなでワイワイ騒いだりはしゃいだりしても楽しくはないと理解してもらうのはなかなか難しいので、”みんなで楽しもう!”という空気をあえて読まずに帰宅する、など。

空気を読むことを大事にして調和をはかる内向型もいらっしゃると思うので、”内向型=空気が読めない”と言われるのは悲しいですが、”空気を読むのが大変”という側面はあると思います。

内向型が得意なこと

空想はお好きですか?

空想に限らずいろんなことを考えたり、それらの考えを整理したりすることもお好きなのではないでしょうか。

学校や職場などで、自分の意思とは関係なく何かをやり続けたり、へとへとに疲れ果てるまでそれをした時、”これって本当に自分がしたいことなんだろうか?”とか、”自分は本当は何がやりたいんだろう”とか考える事がある思います。

その果てに、

”自分とは何者か”

とか、

”自分は何のために生まれてきたのか”

など、その思考はどんどんスケールが大きくなってしまって、ついには、

”こんなちっぽけな事は、広大な宇宙にはちりにも等しい”

などという結論になぜだか至ってしまう事もあります。

絶対に無理と思っていたことも、コツコツやっていればいつの間にか片付いてしまうことがあるように、そういう思考をめぐらせることで少なくとも自分自身は救われ、そうするうちに何かを成し遂げる事もある筈です。

このように、内向型は自分の内側から何らかのエネルギーを得て、毎日を暮らしています。

それが、他人を傷つけるようなものでなければ、いかなる思考、いかなる空想も内向型の得意なことと言えるのではないでしょうか。

なぜこんなにも疲れるのか?

どんなことでも、気力さえあれば乗り越えられる。と思っても内向型は疲れやすいのでなかなか何に対しても乗り切るのはやっとのことです。

そんななかで、あれこれと星の数ほど悩みを持ちながら、でも究極的な悩みってこれに尽きる気がします。

すなわち、”疲れやすい”という悩みです。

いろいろ悩んではいても、こうすぐ疲れさえしなければ少しずつでも順調に解決していけそうなのに、と。

さて、その悩みについてはこのサイトでも繰り返し考えて行く予定なのですが、まずはなぜこんなにも疲れるのか?ということについて整理してみます。

とりあえず簡潔に言うと、

・刺激を受けた時に脳の血流が多くなり疲労を感じやすいから
・神経伝達物質の動き方が原因で、消耗してから回復するまでに時間がかかるから

だと思います。

私が読んだ本を私なりに解釈したので語弊があるかもわかりません。
しかし当たらずとも遠からずではある筈。

いずれにせよ内向型が疲れやすいのは体力がないからでも気力がないからでもなく、脳の性質によるものなのです。

それは努力でどうにかなるものではないけれど、いろんなあきらめがつく分、前向きになっていいことだと思います。

内向型が苦手なこと

内向的かどうかのテストを振り返って見てみると、内向的な人間が何に対して苦手意識を持っているか改めてわかるような気がします。

・ひとに合わせるような事
・体力を消耗するような刺激的な事
・プレッシャーのかかるような事

など。

いくつか考えられるこれらの共通点の中で、もっとも単純なのはそれが”外界からの刺激”であるという点です。

自分の内側に目を向ける事が自然な行為である内向型にとって、自分の外側に対処することはそれなりの努力を必要とする行為なのではないかと思います。

とは言え、少しも外向的なところのない人はいないらしいので、自分のなかの外向的な部分を頼りにそれらに対処していけばいいような気もします。

ですが、内向型は疲れやすいので一定の期間にできることはごく限られてきます。

でも苦手なことを得意なことに変える必要などありはしません。

自分の特性、自分の気質は変えようがないからです。

それよりもまずは自分が何を苦手としているかを具体的に把握し、また苦手なことにうまく対処できるようになるには時間と訓練が必要であると知ることが大切のように思います。